From me to you.

こんにちわ。今日は「嫌われる勇気と人間」について書いていきたいと思います。

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僕の知り合いに友達ごとに顔変えて柔軟に顔変えて結局本当の顔はどれなんだろう、といった人がいます。自分の感情を押し殺してたくさんの顔を自由に扱っている人がいるのですが、よくもまあたくさんの顔を持ってそれを競合させることなく動かしているな、と関心します。
その人に1つ聞いて見たいのですが、「素の自分とその状態で関われる友達」とは何なのか、是非その人から答えを聞きたいです。
きっと元々そのような事に慣れてる人だと思うのですが、やはり人間何処かで処理する場を設けなければ生きていけないから何か自分を出す所はあると思いますが、それでもリアルで保ってるのはかなり精神使うんじゃないかなと思います。
そこまで行くともう合わせる必要無くね?と思いますがそこまでしてでも友達を優先したいのでしょう。元々人間はそういう生き物だと思うので至極当然だと思いますが、その人に1つ言いたいです。
「嫌われる勇気」を持つことも大切だと言うことです。
自分を粘土のようにどんな形(友達)にもフィットする、なんてことは自分の感情を全てoffにしない限り出来ません。それが出来ているということは自分の意見や感情を出さず周りに全て合わせている、という状況だと思います。
そうなると自分の周りには色々な人が集まり自分と気が合うかわからない玉石混交となっているはずです。
もっと自分出していった方が楽だしよっぽど良い、他人に嫌われる勇気を持て、と言いたいです。

この人と自分は表面上で繋がりや関係は凄く深い訳では無いのですが、内部的な所を比べると結構自分に似てる所があると思っています。
多分何か頼み事されたら断れないし断るにしても何か1クッション置いてゆっくりと、とやるはずです。

元々控えめな感じですがそれすらも周りに合わせてると思います。きっと本当に気があって何も考えないでいれる友達(俺で言う小池)といるようになったら僕みたいになると予想します。
そしてどんなに仲良くても絶対に開かない扉が1枚、もしくは数枚あるはずです。

いつか必ず限界が来るはず、それでも多面的に仲良くするスタイルは変わらないはず。そうなると本当にまずいから。よくよく考えると自分と同じタイプの人間で度合いが違うだけなので凄く分かる。逆にこの似てるってのがネックなんですどね
ちなみに全て自分の憶測でしか無いので。

そういうことだ。