可哀想かわいそう。

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空想、妄想、発想は自由。どうも僕です。

人はよく「可哀想」という言葉を使います。が、この言葉はとても不適切な言葉だと僕は思います。
例えばある国が食糧難で多くの子供達が満足に食べることが出来ていないということを放送する番組やどこかの中学生がいじめが原因で自殺をしてしまった事件などをTVで報道する報道局などのコメンテーターなどが「大変心が痛みまだ若いのにとても'可哀想'で~~」とコメントする場面を見たことがある人、もしくは似たようなシチュエーションを見たことがある人は少なくないのではないでしょうか?
僕達もよく可哀想、といたわります。もはや可哀想というワードは何かいたわる時などに用いる言葉してかなりの使用率を誇っているのではないでしょうか?


この言葉のどこが不適切か
人は口でいうだけならなんでも言えます。が、それを実行するとなると大半は出来ないのでしょうか。
この言葉は'私は貴方に何も出来ないけどとりあえずいたわっておく'という偽善的行為だと捉えています。自分が何かする訳ではないけどとりあえず頑張れ。というような気がします。かなり無責任です。
可哀想といたわる自分が好き、自分の自己満足を満たすだけの言葉だと思います。

ある新聞記事にこのようなコラムが掲載されたことがあります。

足をけがした6歳の息子が「僕、がんばって幼稚園まで歩くよ」と言った。
片足をひきずりながらゆっくりと歩く息子に付き添っていたら、通りすがりのご婦人たちから「あんな足で歩かせて可哀想に」という会話が聞こえてきた。

 

息子に妹ができ、おむつを買いに行った。
「僕が持つよ、お兄ちゃんだから」と頼もしいことを言ってくれた。

 

任せたら「あんな小さな子どもに荷物を持たせて。可哀想に」と他人から非難された。
息子の頑張りが「可哀想に」という一言で全否定された気がした。

 

この例のように自分が過去に我慢して嫌なことをやっていた人が自分の価値観を押し付ける言葉でもあると思います。無責任であり何も生み出さない偽善の言葉です。

同様にうざいや死ねといった言葉も無責任だと思います。
死んで欲しい、でも自分では何もしない。と他人に押し付けるかなり害悪な言葉です。僕は実際にそのような場面に遭遇した場合は直接本人に「お前ぶっ殺す/転がすぞ」と言うようにしています。

 

今回はこの辺で。では